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『麦の海に沈む果実』理瀬と黎二に思いを馳せる

恩田陸さんの本のなかでも人気ランキング上位にあがってくるのではないかと思われる『麦の海に沈む果実』

この本の魅力はその美しい世界観にあるのだと思います。

  • 閉鎖的な学園で行われる英才教育
  • 男と女、両方の姿を持つ校長
  • 彼(彼女)が定期的に開くお茶会
  • ある日突然消えてしまう生徒たち
  • そのことを誰も話題にしない不気味さ

不穏!でもその謎めいた魅力にぐいぐい引き込まれます。
全体的なトーンとしては暗めな感じ。
ですが、散りばめられた甘酸っぱい青春要素が、重い雰囲気を緩和する清涼剤になっていて読みやすいです。

ただただ暗い作品なのではなくて、その中に人を惹きつける美を感じるところがこの作品の特徴だと思います。
覗いてみたくなったが最後、気付けばどっぷりとその世界観に浸ってしまう本です。

目次

あらすじ

二月に転校してくる生徒は学園に破滅をもたらす。
そんな謂れのある学園に、理瀬は二月の編入生として入学することに。

望めばどんなカリキュラムも学べる恵まれた教育が保障される一方で、定期的に生徒がいなくなる不可思議がまかり通る浮世離れした学校。
行方不明になった生徒の謎に迫るなか、理瀬は否応なく学園の思惑に巻き込まれていく。

感想

以下の感想には、本編の面白さを損なうネタバレが含まれます。ご注意ください。

ひねくれ者だけど、心根は優しく高潔な少年、黎二。
いかにも!な少女漫画的なキャラクターだけれども、恩田さんの筆力によって「あれ?実在する?」と錯覚しそうになるほど生き生きと描写されてます。

理瀬と黎二のワルツシーン、最高。
その胸キュンに浮かれて全く構えずに読み進めていたら…!…!!

はじめて読んだ時、まさに放心状態という言葉がぴったりな感情でした。
読み終わった後の喪失感が半端ではなかったです…。

当時多感な10代の私。
何週間かこの作品をずるずると引きずり、食欲も一時期減退してました。笑

私は基本的に暗い世界観や人がいっぱい死ぬ作品は一回読めば十分、というタイプなのですが、不思議とこちらは何回も読みたくなってしまいます。この本は中毒性がある…。

こちらは、理瀬シリーズと呼ばれる作品の一部なわけなんですが、理瀬と黎二の話としては完成されてるんですよね。

黎二は理瀬を守って死んでしまったし、この後の作品における理瀬は黎二が惹かれた理瀬とは似て非なるもの…。

水色のコサージュの花びらをむしって宙に放つ描写があまりに切なくて、それでいて、綺麗だと思います。恋心を手放す描写をこんなにも詩的に表現できるとは。

──そして、時の花びらを散らす。1

この最後の終わり方も大好きです。

タイトル名にもなっている黎二が読んだ詩を引用しながら、寂しさの余韻を噛みしめる間もなくぶつっと終わらせてしまうこの感じ!

この読後の寂しさ・愛しさ・切なさがないまぜになった感覚と、影のある世界観とがどこまでもマッチしています。

黎二の詩もこの作品を語るうえでは欠かせない部分。
小説内では"意味不明"と描写されてますが、恩田さん的には意味がある…んだろうなあたぶん。

わたしが少女であったころ、

わたしたちは灰色の海に浮かぶ果実だった。

わたしが少年であったころ、

わたしたちは幕間のような暗い波間に声もなく漂っていた。

開かれた窓には、雲と地平線のあいだの梯子を登っていくわたしたちが見える。

麦の海に溺れるわたしたちの魂が。2

ここまでは、理瀬の独白「そう、私たちは皆、灰色の海にゆらゆらと漂っていた。不確かな未来と、信じるころのできない自分という波のはざまに」3とあるように彼ら(黎二や理瀬。憂理をはじめとした学園の子どもたち)の不安定さを描写したものかなと思います。

詩において特に気になる部分は後半部分。

海より帰りて船人は、

再び陸で時の花びらに沈む。

海より帰りて船人は、

再び宙で時の花びらを散らす。4

メタ的に読むと、理瀬と黎二の行く末を暗示したものなのではと思ってます。

あくまでなんちゃって考察だけれども、時の花びらを散らしたのが理瀬なら、時の花びらに沈んだのは黎二。死ぬ時も塔から落っこちている→陸を連想させますし。
(「再び」がとても気になるところですが、これはしっくりくる理由が思いつきません。文字通り考えると繰り返してることになるんですが、うーん)

時の花びらは思春期とか、大人になる前の特別な時間のことなのかなと思います。
理瀬にとってはそれが黎二と分かちがたく結びついていて、だからこそ彼女は最後にコサージュを捨てた。

時の花びらに沈んだ黎二は永遠にその時を止め、大人になることはありません。

理瀬は野望のために「私は過去に搦めとられはしない」5と時の花びらを捨て、大人になることを選びます。

初見時は、命をかけて守ってくれた黎二の形見を捨てるとはなんちゅー悪女なんだ!と憤慨していたものですが、今は捨てなきゃいけないくらい理瀬は黎二を愛してたんだなあと思います。未練があるからこそ、目に入れたくないんですよね。戻りたくなってしまうから。

はーしんどい。

それでも読み返したくなるのは、二人が過ごした思い出の一つ一つがこの本の中で褪せぬ輝きを持っているからなのだと思います。(もちろんそれだけではないのですが)

理瀬が捨てた"時の花びら"は、本というかたちとなりページをひらけば読者の目にいつでもありありと蘇ってくる。
もしも、もしもですが『麦の海に沈む果実』が未来の理瀬が書いたという設定だとするならば…

(校長が日記として『三月は深き紅の淵を』を執筆していたように、理瀬もいずれ自叙伝的な日記を書くことを決意しています)

理瀬は一度捨てた黎二との思い出を、本を書く際にすくいあげたという解釈もできるのかなと思います。

詩のなかの宙と陸という表現、ひょっとすると黎二は理瀬の兄だったのかもしれないこと…いろんなことを鑑みても結ばれない二人だったのかなと考えてしまう一方で、この二人が惹かれあう姿に眩しさを感じます。何度読んでも、二人を応援しちゃう。

ヨハンも好きなんですけどね!
本来の理瀬にはヨハンなんだろうけれど、やっぱり麦の海の理瀬には黎二なんですよ、私的には。

とても映像映えしそうな作品だとも思うので、いつかアニメ化してくれやしないかと密かに願っています!

Footnotes

  1. 恩田陸(2004)『麦の海に沈む果実』講談社 p.493
  2. 恩田陸(2004)『麦の海に沈む果実』講談社 pp.19-20
  3. 恩田陸(2004)『麦の海に沈む果実』講談社 p.491
  4. 恩田陸(2004)『麦の海に沈む果実』講談社 p.20
  5. 恩田陸(2004)『麦の海に沈む果実』講談社 p.492
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