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目に見えないものの価値について考えさせられる『モモ』

ミヒャエル・エンデ (著) 大島かおり(訳)(2005)岩波書店

小学校の図書室に必ずあると言ってもいい本。

実は、当時は表紙がなんとなく怖く感じて、食わず嫌いをしていた本の一つでした。ところが読んでみると決して怖い話でも暗い話ではなく。
もっと早く読んでおきたかった!と思ったものでした。

目次

あらすじ

ある日、突然廃墟の円形劇場にやってきて、住み着くようになった孤児のモモ。

モモと近所の人たちはお互い助け合って暮らして仲良く過ごしていましたが、突然やってきた灰色の男たちによってその様子が変わっていきます。

灰色の男たちの営業によって人々は時間を惜しんでお金を稼ぐことに一生懸命になり、何事にも時間を節約することを良しとするようになりました。
灰色の男たちの本当の目的は、こうして人間が節約した時間を自分たちのものにすることでした。

灰色の男たちは自分たちの口車に乗らないモモを脅威とみなし、モモの排除を目論みます。
モモは、人間たちの奪われた時間を取り戻すことができるでしょうか。

感想

この本は、一つ一つのエピソードが象徴的で印象に残ります。

灰色の男たちによる生活の変化

灰色の男たちによって人々の生活がどのように変化していったか。そのうちの一人、左官屋ニコラの例を見てみます。

なあ、おれはいまどうなってると思う?もうむかしのようじゃないんだぞ。時代はどんどん変わるんだ。

いまおれのいるむこうじゃ、まるっきりちがうテンポで進んでいる。
まるで悪魔みたいなテンポだ。(中略)

なにもかも組織だっていて、手をひとつ動かすにもプランどおり、いいか、ひとつのこらずきちんときまってるんだぞ…… 1

モモは、ドイツにて1973年に出版されましたが、最早今では当たり前になっているスピードですよね。

より速く、より多くを目標にみんなが動いていく。時折ついていけないと感じることは現代の私たちもあるのではないでしょうか。

当たり前になっているからこそ、それについていけない自分を責めたり…。

今の人たちにとってみるとこっちが「普通」ですが、少し昔はそうでなかったことを忘れてはいけないのだなと思います。

ニコラの独白は続きます。

あそこでやってることに、がまんしきれなくなるのさ。まっとうな左官屋の良心に反するような仕事をやってるんだ。

モルタルにやたらと砂を入れすぎるのさ、わかるかい?これだと四、五年はもつけど、そのうちに咳をしただけでも落ちるようになっちゃうんだ。(中略)

だがな、そんなことおれになんの関係がある?おれは金をもらう、それでけっこうさ。そうさ、時代が変わったんだ。

むかしはいまとちがって、おれはひとに見せられるほどのものを建てて、おれの仕事をほこりに思ったもんだ。だがいまじゃ……。2

良心に反してまで利益を第一とするやり方に染まってしまったニコラ。

ニコラ自身、何も感じていないわけでなく、罪悪感に苦しみお酒に逃げる生活にはしっているのにその生活から抜け出そうとしません。

(ニコラに言わせると抜け出すことはできないのかもしれません)

みんながどこかおかしいと思いながらも、一度出来上がったシステムから降りることができずに延々と続けていく様子には、なんだか思い当る節があります。

ニコラの結びの言葉、「そのうちにいつかたんまり金がたまったら、おれはじぶんの仕事におさらばして、なにかべつのことをやるよ」は身につまされる言葉すぎて…。

灰色の男たちは魔法のような力を操って人間を変えるわけではありません。

あくまで、人間の意思で時間を節約するように「その気にさせる」だけです。

人々は、彼らの本当の目論見を知らないとはいえ、自ら同意して行動を起こしているところがまた恐ろしいところです。

時間とお金の密接なつながり

作者ミヒャエル・エンデ氏の秀逸なところは現代社会を灰色の男というファンタジーの存在を使って表現している点です。

「時間を節約して動く=その分お金儲けができる」

というお金と時間の密接な繋がりに目をつけ、「時間」というテーマでワンクッション挟むことで上手くお話の世界とエンデが感じた社会への警鐘が融合しているように思えます。

灰色の男たちがお金儲けをそそのかす存在であったなら、灰色の男という擬人化表現を使わずに同じテーマを扱っていたなら、この作品はもっと直接的で、風刺色の強い作品になったと思います。

人間が本来持っている力の強さ

『モモ』は、ただ現代社会の持つ問題点を指摘しただけの作品ではありません。

もしそうだったならこれほど世代を超えて読み継がれる本にはならなかったでしょう。

この本は突き放すような批判的な視点で書かれているのではなくもっと優しい雰囲気が満ちています。

例えば、マイスター・ホラがモモに時間のみなもとを見せてくれるシーンの美しさたるや!

この約5ページにわたって描写されている情景は是非実際に頁をめくりつつ味わってほしいなと思います。

(どこか部分的に引用しようとしたのですが、どこも削れずに断念しました)

マイスター・ホラは、そんな美しいものが一人ひとりの心の中に存在するものであるのだと言います。

エンデは人間一人の中に壮大な宇宙がある、と考えていたのかもしれません。

自分の外側にある豊かさを追い求めて、自分の内側にある豊かさに気が付かない。

外側の豊かさは追いかけ続けなければ消えてしまう可能性がありますが、内側の豊かさは皆誰しもが持っているものなので、それを奪い合ったり、一生懸命貯えようとしなくていいのです。

それがあることに気付きさえすれば!

モモは見た目こそみすぼらしい子ですが、内側にある豊かさの存在を(マイスター・ホラに出会う前から無意識に)知っていたからこそ、灰色の男たちの甘い見せかけだけの言葉に騙されなかったのではないでしょうか。

私はこんなことをつらつら考えましたが、きっとこの本を読んで思うことは十人十色だと思います。

読み返すたび、新しい発見や気付きがある本です。

現代社会に疲れてしまっている人に是非。

ミヒャエル・エンデ (著) 大島かおり(訳)(2005)岩波書店

Footnotes

  1. ミヒャエル・エンデ (著) 大島かおり(訳)(1976)『モモ』岩波書店 p.108
  2. ミヒャエル・エンデ (著) 大島かおり(訳)(1976)『モモ』岩波書店 p.109
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