『西の魔女が死んだ』で有名な梨木香歩さんによるファンタジー。
実は初めてこの本を読んだ中学生の時は、胸の底の汚いもの、見たくないものをかき回されるような感覚を覚えて苦手な本でもありました。
それでもしばらくするとこの本が読みたくなるという不思議な感覚が訪れ、手に取る…そんなことを繰り返すうちに、いつのまにかすっかり好きな本に。
今でも定期的に読み返しています。
他のどの本にも感じない気持ちを呼び起こすこの『裏庭』は、私にとっては本というよりも、セラピーに近いかもしれません。
ただ、難解な描写も多いので、自分の頭を整理するためにも今回は考察じみたものも書いてみようと思います。
※故にネタバレ成分が多めになっているので未読の方はお気を付けください。
あらすじ
13歳の照美は、おかっぱの女の子の影を追い、今は人の住んでいないバーンズ屋敷の大鏡から異世界に誘われます。
裏庭と呼ばれるその世界は崩壊の危機に面しており、照美は元の世界に帰るために散らばった竜の骨を集める旅にでることに。
裏庭の世界を旅するうち、照美は自分を見てくれない両親のこと、六年前自分の不注意がきっかけで双子の弟を亡くしてしまったことなどの辛い記憶と痛みに向き合っていくことになります。
感想・考察
傷とどう生きていくか
生きているとたくさん傷つくことがあります。
もうこんな思いはしたくないと嘆きながら、それでも私たちは生き続けなくてはいけない。
じゃあ、どうやってこの苦しみと向き合っていくかということがこの物語のテーマなのかなと私は解釈しています。
作中では、人が傷ついた時の反応が何度か語られます。
一方では現実世界で、もう一方では照美が迷い込む異世界で。
この物語は照美の異世界冒険の合間に、現実世界での照美の母(さっちゃん)視点が挟まる──という構成です。
現実世界においては、さっちゃん(照美の母)視点で夏夜さんが語った部分が該当部分にあたります。
夏夜さんはこの反応を「鎧を着こむ」と表現しています。
それは、鎧みたいなものなの。
心の一番柔らかな部分が傷を負わないように、ガードするのね。
人によってはそれが、丁寧な言葉づかいになったり、当り障りのない、受け答えになったりするのね。
でも、それは、何か守らなければならないものがあるときだけでよかったのに……
(中略)
私には、ある時期、確かに鎧が必要だった。
けれど、鎧を着ているっていう自覚がないときは、私ではなく、鎧の方が人生を生きているようなものだったの1
この鎧という表現が好きです!まさに、生きていて感じるしんどさをピタリとくる言葉で表してくれたという感じ。
読みながら思い当たるところばかりで、何度読んでもグサリとくる場面でもあります。
もう一方は、裏庭世界で照美(テルミィ)が巡る三つの藩での例。
この世界の三つの藩はある禁忌を犯し、住人たちがそれぞれ傷に関わる呪いを受けることになります。
アェルミュラ→人に触れると傷がつく(怪我する)呪い。住人は傷を恐れるあまり、誰とも関わろうとしない。
チェルミュラ→傷が可視化する。住人は傷を癒すことに熱心になる。自分の傷に囚われてそこから抜け出せない。
サェルミュラ→自他の境がなくなり、争いがなくなった。やがて住人が物理的にもつながり岩塊になり、自他の区別がつけられる唯一のものが傷となった。
こちらはだいぶ比喩的な表現になるので私の解釈が多分に含まれたものになりますが、わかりやすく言い換えると
- 傷を恐れる(アェルミュラの例。また、現実世界で言う「鎧を着こむ」こともこの部分にあたるかなと思います)
- 傷に支配される(チェルミュラ)
- 新たに傷がつくられることを放棄する(サェルミュラ)
と表せるように思います。
①「傷を恐れる」はわかりやすいのでいいとして②「傷に支配される」③「傷(自己)を放棄する」はスピリチュアル界隈への警鐘にもなるのかな…と感じました。
チェルミュラでの「癒し市場」の描写とかモロにそんな感じ。
傷を癒すこと=生きる目的になってしまっていて「この傷がある限り私は幸せにはなれない!」という価値観に陥りやすくなる。そんな様子を表しているのかなと思いました。
梨木さんはイギリスに留学経験があるようなので、その経験もあっての描写なのかもしれませんね
※イギリスはかなりスピリチュアル文化が盛んです
③のサェルミュラの例が何を意味するのかには悩んだのですが、いわゆる悟りみたいな、自己を逸脱した全体性に意識を持っていくことを危惧しているのかなと考えています。
人間同士が繋がって岩の塊と化すというのは、もう人間を辞めてしまっているのと同義。
もう二度と新しい傷がつくられることのない代わりに、発展も見込めない。
また「部分だけもってきてありがたがっても」と言うサェルミュラの巫女の言葉を見ると、その悟りは完全なものではないのかもしれないです。
おそらく、これが一番の問題点かなと。
ようするに、この悟りへの欲求は「もう傷つきたくない」というエゴの逃避や諦めから生まれた悟りであり、仏陀が得たような悟りとは似て非なるものなのかもしれません。
呪いに抗わず無抵抗に岩塊と化してしまった人々。
例え抗ったところで意味がなくとも、苦しんでも、今ある生を途中で諦めずに生ききる姿勢が大事なんじゃないかというのがサェルミュラの巫女の主張です。
これに関しては「いいことじゃないか」「彼らが『自分』をなくしてもそれに満足しているなら、外からとやかくいう筋合いのものではないだろう」と同行者スナッフが言うように、見る人による「好み」であると明言されていますが。
今まで傷に関しての三つの対処を見てきましたが、どちらかというと梨木さんはこの方法に懐疑的なスタンスだと私は受け取りました。
梨木さん自身、この問いを何度も自分で反芻してきたのでしょう。
これが梨木さんのアンサーなのではないかと私が感じる四つめの対応が以下になります。
夏夜が以前鎧をまとって生きていたことについて、バーンズ屋敷の主人レイチェルがコメントする場面。
「鎧をまとってまで、あなたが守ろうとしていたのは何かしら。傷つく前の、無垢のあなた?でも、そうやって鎧にエネルギーをとられていたら、鎧の内側のあなたは永久に変わらないわ。
確かに、あなたの今までの生活や心持ちとは相容れない異質のものが、傷つけるのよね、あなたを。でも、それは、その異質なものを取り入れてなお生きようとするときの、あなた自身の変化への準備ともいえるんじゃないかしら、『傷つき』って」
「まさか、だからおおいに傷つけっていうんじゃないんでしょうね」
「違う、違う。傷ついたらしょうがない、傷ついた自分をごまかさずに見つめて素直にまいっていればいいっていうのよ」
「いつまでよ」
「生体っていうのは自然に立ち上がるもんよ。傷で多少姿形が変わったとしても」2
④傷に怯えず、受け入れ、それと共に生きていくこと。
この部分は辛い現実を生きている私たちに贈る、梨木さんのメッセージでありエールなのではないかと思いました。
多かれ少なかれ誰もが傷つきながら生きていると思います。
平気な顔した心の奥で泣いたこと。
昔誰かに言われた言葉が今も胸をちくちく刺すこと。
ふいに自己嫌悪に悩まされて眠れなくなる夜。
そういった経験が降り積もっていってどんどん心が固くなっていくのだと思います、みんな。
この本はそんな固くなった心をやわらかくほぐす…のではなく、がしっと掴んで揺さぶってきます。荒療治タイプですが、このタイプがものすごく響く方がいるはず。
ふわふわした優しい印象の本ではないのに不思議と心が救われる、そんな印象の本です。
『西の魔女が死んだ』と比べると、こちらの方が圧倒的に闇の描写が濃い印象。
2021/12/14追記:愛蔵版の『西の魔女が死んだ』では傷との向き合い方について『裏庭』とも共通するメッセージが描かれています。
おそらく『西の魔女が死んだ』の方が万人受けする作品ではあると思います。
ですが闇をきっちりと描く本作は、それ故に救いのメッセージも強く、強烈。
読み返せば読み返すほど、この不思議な魅力に引き込まれることうけあいです。