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「赤毛のアン」未読でも楽しめる!短編集『アンの友達』

ルーシー・モード・モンゴメリ (著) 村岡花子(訳)(2008)新潮社; 新装版

言わずと知れた「赤毛のアン」シリーズのスピンオフ的立ち位置の短編集です。
アンがすこ~し関わるお話もありますが、ほとんどのお話がアンとは独立したお話となっているので、「赤毛のアン」を全く知らずとも楽しめる作品となっています。

正直に言いますと、アンのスピンオフのような位置づけの作品なら読み飛ばしてもいいかな…という考えが一瞬頭をよぎったのですが、本当に読んで良かったです!

アンシリーズがそれほどという方にも刺さるのでは?と思えるほど素晴らしい作品でした。

アンと独立したお話として、それぞれの登場人物たちを自由に設定できたこともあってか、とてものびのび書かれているように感じました。

目次

収録短編

1.奮いたったルドビック
2.ロイド老淑女
3.めいめい自分の言葉で
4.小さなジョスリン
5.ルシンダついに語る
6.ショウ老人の娘
7.オリビア叔母さんの求婚者
8.隔離された家
9.競売狂
10.縁むすび
11.カーモディの奇蹟
12.争いの果て

感想

至言の数々

私がアンシリーズに惹かれる理由の一つでもある、物語の中に時々挟まれるハッとさせられる言葉の数々。

例えば、「めいめい自分の言葉で」は牧師レオナード氏とその孫フェリクスのお話なのですがフェリクスに牧師を継がせたいお爺ちゃんのレオナード氏と、音楽家になりたいフェリクス少年の葛藤が描かれます。

このレオナード氏の筆者による分析がさすが。

フェリクスを牧師にしたいというのは、レオナード氏の心からの願いであり、もしも息子を授かっていたなら、その息子とて牧師にさせたいところだった。

人間として与えられる最高の仕事は、
同胞への奉仕に一生をささげるにありとするレオナード氏の考えはもっともであるが、
しかし彼の誤っている点はその奉仕ということを本来の意味よりも狭く考えていることだった――

すなわち、人は人類の求めに応じ、方法はさまざまに異なっても、同様の効果をあげる奉仕ができるということを見落としていたのである。1

この小話のタイトル「めいめい自分の言葉で」にもかかってくるとても素敵な言葉だと思います。

モンゴメリによる各々が自分の得意で好きなことで、誰かの気持ちを救えたり喜ばせることができたらいいよね、という温かな目線を感じます。

「ショウ老人の娘」にも、グッとくるいい言葉が。

まず第一に、老人は「かいしょうなし」で、わずかばかりの畑を草がはびこるがままにしておき、花や虫けらにかまけてむだな時を過ごしたり、あてどもなく森の中をぶらぶら歩きしたり、または海岸で本を読んだりしている、と人々は言うことだろう。

おそらくそれは事実かもしれない。

しかし、昔からの畑は老人が暮らすだけのものは生み出してくれたし、それ以上望む気持は老人にはなかった。

彼は西の国へのぼる途上の巡礼のように快活であり、幸福というものは見つけたときに取らねばならぬということ――その場所に印をつけておいて、もっとつごうのよいときに取りにもどってもむだだ、その時にはもうないのだから、という貴重な秘密を心得ていた。

ショウ老人のように、小さな事がらの中に喜びを見いだす方法をよくよく知りつくしてさえいれば、わけもなく幸福になれるものである。

老人は今も昔も人生を楽しんできたし、他の人たちも楽しむように力を尽してきた。

だから、ホワイト・サンドの人々がそれをどう考えようと、老人の生涯は成功したわけである。 2

これが執筆された時代に、世間一般の考え方から外れた生き方をした人に対してこういう見方ができることが、やっぱりすごいなあと思うのです。

モンゴメリの幸福観、とても好きです。

こじらせ女へのユーモアと愛溢れる視点

アンシリーズによく登場する、結婚せずに独身生活を続けている女性いわゆる「オールド・ミス」たち。

私が特に好きな「隔離された家」と「オリビア叔母さんの求婚者」…共にオールド・ミスが中心人物となりますが、ざっくり内容を説明しますとこんな感じ。

隔離された家

男嫌いで有名なピーター(女性)は、引き受けた仕事の関係で、女嫌いで有名なアレキサンダーの家に向かう。

偶然が重なって二階の窓から侵入することになったピーターだったが、アレキサンダーは天然痘にかかった疑いがあり、他者との接触を禁じられていた。
意図せず濃厚接触者扱いとなったピーター。

医者に命じられ、やむをえずアレキサンダーと、しばしの共同生活を送ることになる。

「隔離された家」は少女漫画か!?とツッコミたくなるくらいの王道ドタバタラブコメです。

アレキサンダーが怒ろうが皮肉を言おうが全く構わず、男一人暮らしの荒れた家の掃除をガンガンこなすピーター姐さん。

最初はお互いに皮肉ばかり言っていた二人がだんだん仲良くなっていく様子や、お互いがそれぞれ飼っているペットもまた同居人に懐いていく様子は読者が見たい展開のツボを確実に抑えてきます。

極めつけは、ピーターのもう一つの名前が生きるここぞという場面!

よくもまあ、40頁足らずでこれほどぎゅっとつまった楽しいお話を考えられるものです。あっぱれ!

展開がわかった後も何度も読み返したくなる傑作でした。

オリビア叔母さんの求婚者

潔癖気味の性格を持つオリビア叔母さんは長らく独身生活を謳歌していた。

しかし、かつて家族の反対によって一緒になれなかった マルカム・マクファーソンという男が彼女の前に再び現れ求婚する。

はじめこそ浮足立っていたオリビアだったが、がさつで、自分の居住空間を無意識に荒らしてまわるマルカムに我慢がならなくなっていき――。

「オリビア叔母さんの求婚者」の主人公はメアリー(わたし)とペギー。

二人の叔母さんにあたるオリビアの様子がユーモアあふれるメアリーの視点によって描写されていくのですが、これがなかなか読んでいてドキッとさせられるもので。

叔母さんはもとから結婚を望んでいた。
女丈夫型ではまったくなく、自分が独身なことがいつも叔母さんの頭痛の種で、いくらか恥と見なしていたように思う。
しかもそれでいながら、叔母さんは生まれながらの独身女だった。(中略)

わたしたちはまもなく、オリビア叔母さんにとって、マルカム・マクファーソンさんは単に抽象的な命題にすぎないこと――
ながい間彼女に拒まれていた主婦としての威厳を授けてくれる男にすぎなかったことを発見した。

叔母さんのロマンスはその点に始まり、その点で終わっていたが、叔母さん自身はそうとは全然、気がつかず、自分はマルカム・マクファーソンさんを深く愛しているものと信じていた。3

これに関して更にペギーの一言が続きます。

「その人が人間の姿で到着して、叔母さんは『マルカム・マクファーソンさん』をただ結婚式においての漠然とした『相手がた』としてではなく、現実の生きた人として扱わなくちゃならなくなったら、どんなことになるでしょうね、メアリー?」

つまり、オリビア叔母さんは、マルカムを見ているようで見ていないことへの痛烈な指摘なのですが、私は読んでいて思い当たるところがありすぎて胸が痛かったです(笑)

結婚はしたい、でも…みたいなモヤモヤを抱えている人にはもれなく刺さるのではないでしょうか。

そしてペギーの疑念通り、マルカム・マクファーソンが訪ねてくるにつれて叔母さんの気持ちはどんどん冷えていきます。

家の中のものをメアリー曰く「苦しくなるほど」清潔であることを良しとする叔母さんにとって、泥だらけの靴でもお構いなしに家に入って来るマルカム・マクファーソンは、自分の秩序を乱す者なのです。

ついには、彼の求婚をすげなく断ってしまうのですが――!

ここでモンゴメリの書く「生まれながらの独身女」っていうのは、それを嘲笑うための表現なのではなくて、単に気質の特徴を述べているに過ぎないものだと思うんですよ。

一人の時間がないとしんどくなってしまう、だとか。自分の中でルールを持っていてそれをおいそれと他者に脅かされたくないとか、そういう気質。

結婚ができないとか、あるいは適正がないということでもなく、確かにそういう気質の人が誰かと共同生活を長い間営むのはそれが全く苦でない人に比べると葛藤が生まれやすいのかなと思います。

この葛藤部分がとてもリアルで…。

オリビア叔母さんが結婚できない原因は、一見男の人側にあるように見えても、実はそうじゃないんですよ、彼女自身が(そうとは気付かないで)拒んでいるんですよ…。

で、オリヴィア叔母さんが、最後どうなるか――っていうところは是非実際に読んでみてください。本当に面白くてお勧めです。

ユーモア溢れる人間分析と、愉快な展開がたっぷり味わえる本作。

アンシリーズと繋がった話ではないので、「アンの友達」だけ試しに読んでみるのもお勧めです!

ルーシー・モード・モンゴメリ (著) 村岡花子(訳)(2008)新潮社; 新装版

Footnotes

  1. ルーシー・モード モンゴメリ (著) 村岡花子(訳)(2008)『アンの友達』新潮社; 新装版 p.119
  2. ルーシー・モード モンゴメリ (著) 村岡花子(訳)(2008)『アンの友達』新潮社; 新装版 p.193
  3. ルーシー・モード モンゴメリ (著) 村岡花子(訳)(2008)『アンの友達』新潮社; 新装版 p.222
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