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友達で居続けること、友達をやめること『Goodbye Stranger』

2021年8月現在、未邦訳

Rebecca Stead, Yearling; Reprint, 2017

※ネタバレ要素多めです。未読の方や気になっている方はご注意ください。

SNSにおける問題、主人公の友人の性格等に現代の価値観がふんだんに盛り込まれています。

リアルな問題提議の視点とフィクションの配分がちょうどよく、絶妙なバランスで中学生の女の子からみる世界が描かれていると思いました。

主人公たちは中学一年生。
海外文学らしく周囲はかなり早熟な印象ですが、ブリッジは比較的年齢相応(向こうからすると幼いのかな?)です。

目次

あらすじ

7年生のブリジット(愛称ブリッジ)には、タビサとエミリーという小学校からの大親友がいます。

昔たてた「喧嘩しない」という誓いどおりに仲良くやってきていますが、エミリーは女子サッカークラブで目覚ましい活躍を見せ、最近は派手な女の子と仲良し。
一方のタビサは、女性の人権問題を考えるクラブに所属してフェミニストの先生の影響を強くうけだします。

中学生に入ってから少しずつ変化していく環境に、戸惑うブリッジ。
そんな時、エミリーの元に届いた人気者の男の子からのメール。
そこからはじまったやりとりをきっかけに、エミリーは波乱に巻き込まれてしまいます。

ブリッジとタビサは、親友のピンチにそれぞれが一生懸命対処しようとするのですが――。

感想

学校生活におけるSNSのリスク

物語においては、エミリーが中盤に起こしてしまった出来事が大きな意味を持ちます

エミリーは人気者の男の子ときわどい写真を送りあうようになり、彼に送った写真が学校中に流出。「あばずれ」と後ろ指をさされるようになってしてしまうのです。

私自身は中学どころか高校もスマホなしで過ごせた時代だったため、現代の子が置かれている状況がなんとなくの想像でしかわからず……。

これをきっかけに調べてみたところ、アメリカでの実態・経験調査を内閣がまとめてくれているのを発見。

平成25年度アメリカ・フランス・スウェーデン・韓国における青少年のインターネット環境整備状況等調査報告書(HTML版) > 1 青少年のインターネット利用環境に関する実態(6)~(7)

エミリーのような経験をしたことがある人は思った以上に多いと驚きました。
データは2008年時点のものなので、今はもっと増えている可能性もあり。
ニュースなどを覗くとやはり全体的に被害は増加傾向にあるようです。

日本における同様の調査はまだないようですが、勿論他人事ではないだろうなと思います。

エミリーは気になる男の子しか見えていなくて、ブリッジがとめても「ここで写真を送らなかったら臆病者」と突っ走ってしまいます。

そして問題が起こってはじめて「こんなはずじゃなかった」と自分がしたことのリスクの大きさに気がつくのです。

エミリーもそうでしたが、実際のケースにおいても、下着姿ならまだ大丈夫だろう…とガードが緩くなりがちとのこと。これに関しては、広告モデルや水着などである程度の露出を多くの人が見慣れている影響もありそう。

大人が馬鹿なことを、と呆れるのは簡単ですが、学校って人間関係中心になりたった世界なので、誰かを失望させること=この世の終わりみたいに思えてしまうことってあると思います…。

(その誰かが大人から見るとどれだけ理屈の通らない自分勝手な輩でも)

普通はこれだけ大きい問題を取り扱うと、問題に主題が食われてしまって「社会的ではある、でも面白さは……」みたいな感想になりがちなんですが、この本ではそんなことなかったです。

人との繋がり、そして友情という温かみのあるテーマがしっかり物語をまとめあげていたので、読後感も良く面白かった!

三人組の友情

はじめはタイトルの「Goodbye」は主人公三人組の別れを意味しているのかと思っていました。序盤の微妙にすれ違っている感じを見ても。

実際のところ、それはあえての(?)ミスリードだったようで、この三人の友情は眩しいくらいに強かったです!

揺れることはあれど、みんながお互いを大切に思う気持ちは変わりません。

ブリッジはある日から突然猫耳を着用して(理由はハッキリと明言まではされないものの、なんとなくの検討がつくようになっています)学校に通っているのですが、タビサとエミリーは困惑しつつもブリッジを笑ったり、馬鹿にしたりはしません。

エミリー事件に加え、三人がバラバラになる展開だったらかなり重たい話になっていたと思いますが、この三人の友情がしっかりと繋がっているお蔭で読みやすいです。

ブリッジはシャームという男の子と作中で仲良くなるのですが、二人の友達以上恋人未満の関係も素敵。

女の子同士の友情とはまた違った絆が物語の清涼剤になっています。

赦すことの大切さ

過ちをおかすのはエミリーだけではありません。

主人公のブリッジ、タビサは問題に巻き込まれていくエミリーへの対処を失敗します。

ブリッジは、エミリーに頼み込まれて「絶対に送らない」と約束したうえで写真を取るのを手伝ってしまったり(そこまで撮りたがるんだから守るはずないよね)

タビサは、エミリーと写真のやり取りをしていた男が許せず、男の方の写真もSNSにアップして余計に問題を大きくしてしまったり。

作中にあるセリフ「Love you. Still mad (大好きよ、まだ怒ってるけど)」は良い言葉だと思いました。

怒りの渦中においても、お互いの大切さはブレない三人組が素敵。

過ちだけにフォーカスしてその人の全てを否定するのではなく、根底に信頼感があるのがいいなあと思います。赦しもまた、この作品のテーマの一つだと思います。

あるいは、さよならを告げることの大切さ

しかし、タイトルにもあるようにこの本はきらきらしい友情だけを取り扱った話ではありません。

本書はブリッジ視点と、終盤まで伏せられた「誰か」による視点を中心に物語が進んでいくのですが、この「誰か」は昔馴染みの友達に振り回されて生きています。

昔から仲良くしてきた友達で楽しい思い出もたくさんあるから、関係を切れない。

その子のことが好きだから、酷いことをされてもついご機嫌をとってしまう。

そんな女の子の様子が描かれています。

またブリッジの兄、ジェイミーも悪友アレックスとつるんでいて、いいように利用されています。

周りから見ればどんなにおかしな関係でも、不思議と当人は失いたくなくて執着してしまう。共感できる人もいるのではないかな。

学校が全てのティーンの世界において、関係を切ることは時に大人以上に怖いし、しんどいことだと思います。

それでも別れを告げること、距離を置くことが必要な時がある、というメッセージが本書にこめられています。

友情に限らず恋愛含むあらゆる人間関係に当てはまることだと思います。

そして、切ないことですが自分がサヨナラを言われない保証も勿論ないんですよね。こちらに落ち度が何もなくたって、離れていく人をとめることはできない。

先の「誰か」やジェイミーのような明らかな悪縁もあれば、一度同じ方向を向いてきたパートナー同士が、結果として別々の道を歩むことを選ぶこともある。
(似た者同士で仲の良かったエミリーの両親も離婚を選んでいます)

死別も苦しいですが、自分から離れることを決意したり、あるいは離れていく人を見送ることは、また別の苦しさがある気がします。

この本における「Stranger」という言葉からは「他人」として突き放すような冷たい感じよりかは、「あなたとは違う道を行く」という決意と覚悟を感じました。

誰かにさよならを告げること。そして、誰かのさよならを受け入れること。

どちらも辛いことですが、そうした「終わり」はどんな関係においてもあり得るからこそ、今目の前にいる人の大切さに気付かされます。

タイトルと内容がお互いを引き立たせ合うような本でした。

日本語でも読みたいので、邦訳が出るのを期待しています!

Rebecca Stead, Yearling; Reprint, 2017
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