以前このブログでも感想を書いたように『西の魔女が死んだ』は自分が影響をうける大好きな本の一冊。
今まで文庫本で所持していたのですが、私がかれこれ小中学生だった頃からのお付き合い。だいぶボロボロになっていたので、これを機に買いなおそうと思いたちました。
そこで愛蔵版が出ていることを知り、さっそく購入。結論からいうともっと早く買いなおせばよかったと後悔するほど素晴らしいものでした。
本編にくわえて愛蔵版限定の収録短編は以下の三つ
1.ブラッキーの話
まいのお母さんとかつて飼っていた愛犬の話
2.冬の午後
大人になったまいがおばあちゃんとの暮らしを振り返る話
3.かまどに小枝を
本編後のおばあちゃん視点の話
どれも読み終わったあと心がぐっと温かくなる話でした。
収録短編はどれも10頁前後の超短編なのですが、これからたびたび思い返したい珠玉の言葉の数々!琴線に触れる言葉がどの短編にも散りばめられています。
例えばまいが、自分の生きづらさ・傷つきやすさを吐露するシーンでおばあちゃんがまいにかけた言葉。(「冬の午後」より)
「傷つくのは仕方がないです。まいはそういう『質』なのだから、そのことは諦めないと仕方ないです」 (中略)
「どんなことが起こっても、『こんなことは私の致命傷にならない』って、自分に言い聞かせるんです。そうすれば、そのときはそう思えなくても、心と体のどこかに、むくむくと芽を出す、新しい生命力の種が生まれます」1
そしてその後のまいのモノローグ。
起き上がることもできないような日々が続いても、その言葉は冬の暖かい光のように、辛抱強く、凍え切った大地に吸収されていったのだった。
こんなことで、自分がだめになることはない、決して。
こんなことで、あなたはだめにならない、決して。2
おばあちゃんは、人を助けるのが本当に上手ですね。
どんなに助けてあげたくても、すべての嫌なことから遠ざけてあげたくても、結局それはその人自身が解決するしかない。
助けてあげればあげるほどその人は「自分には力がない」という信念を強めてしまうから。自分に飛び立てる力があることを忘れてしまうから。
「こんなことは私の致命傷にはならない」は、痛みを無理やり抑えつける言葉ではなくて、「私はまた立ち上がれる」「自分には力がある」ことを思い出させてくれる言葉なのだと思います。
まいのこれからの数々の受難を予期しながらも、自分がいない未来をまいが生き抜けるように大事な心の支えを作ってくれるおばあちゃん。
梨木さんが描く"おばあちゃん"そして"まい"は物語を超えて私たちにも語りかけてきます。
こんなことで、あなたはだめにならない、決して。
これは、読者である私たちにも向けた言葉だと思います。
生きている限り、この先もきっと私たちは何度も打ちのめされ、傷つくのでしょう。
そのたびにこのおまじないはきっと力をくれるはず。
以前梨木さんの『裏庭』を「傷とどう向き合うか」というテーマから解釈をしました。
『西の魔女が死んだ』でも「傷」への言及がされていたんですね。
そして私が何よりも印象に残ったのが”あとがき”
未だかつてあとがきでこんなに胸をうたれたことはありません。
以下引用。
二十五年前、自分と、自分に似た資質の女性以外の、誰にとって価値があるのだろうと、おどおどと見つめていたこの本を、まいの祖母の年齢に近づいた今、もう一度静かに送り出したい。
行ってらっしゃい。
老若男女問わず、この本を必要としてくれる人びとに辿り着き、人びとに寄り添い、力の及ぶ限り支え、励ましておいで。
私たちは、大きな声を持たずとも、小さな声で語り合い、伝えていくことができる。そのことを、ささやいておいで。3
なんて美しい祈りの言葉なんだろう…とため息をついてしまいます。
傷つきながらもそれを受け入れて生きていこうとするまいの姿勢には梨木さんという実在する方の生きてきた軌跡・実感がこめられていると思います。
短編を読みながら、その繊細でやわらかな感性が伝わってきて嗚呼この方は本当にたくさん(大多数にとっては些細なことでも)傷ついてきたんだな、と感じました。
でもそんな彼女だからこそ、こうして多くの人たちの胸に響く言葉を届けられるのだと思います。
この世界のどこかにいる、今それが必要な人へ更に届くように。
微力ながら力になれることを願って。
私も世にある素敵な作品の魅力を書きつづけていきたいなと思いました。