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河合隼夫氏の解説からみる『思い出のマーニー』人が癒されていく過程

ジブリ映画化されたことで有名な『思い出のマーニー』の原作。

海辺の村のしめっ地屋敷をはじめとする美しい背景美術、マーニーや杏奈の生き生きとした動作や表情、心揺さぶる音楽は、映画ならではの魅力。

その反面、映画の方は映像作品の特性上、杏奈の気持ちが見えにくい部分があります。

原作では小説ならではの心理描写が丁寧に描かれています。

杏奈(原作アンナ)により感情移入しやすいので、映画をご覧になった方にも是非一度手にとってみてほしい作品です。

目次

映画と原作の違い

例えば、杏奈が信子にむけて放った、かの有名な「ふとっちょぶた!」というセリフについて。

こちらは原作にもあるセリフなのですが、映画の信子にあたるサンドラの性格は、信子とはかなり違います。

信子は杏奈に対してどちらかといえば友好的な態度でしたが、サンドラはそれとは逆にアンナに対して攻撃的。

悪口をいってみなさいよとけしかけたのもサンドラの方からです。

私が読んだのは、河合隼夫さんの解説がついた特装版。

解説なしでも十分わかりやすいお話になっているのですが、心理学者の方による解説・考察は「あの場面はそういう意味だったのか…!」と目から鱗の連続でした。

『思い出のマーニー』は「心の癒し」をテーマに扱った物語です。

職業柄、人が癒されていく過程をそばで見てきたであろう河合さんの解説は、この"癒し"に対する視線、捉え方がとても鋭く読んでいて興味深いです。

「マーニー観たけどよくわからなくてなんだかモヤモヤした」という人にも、あるいはそういう人にこそ是非読んでもらいたい!

ということで、今回はこの河合隼夫さんの解説を一部引用させてもらいつつ、私の解釈・感想も書いていきます。

河合さんの解釈が本当に面白いので、本当は一文ずつ吟味していきたいところなのですが…興味を持った方は是非実際に手に取って読んで見てください。

ネタバレ要素が含まれるので、閲覧にはご注意ください。

あらすじ

だれにも心を開けないアンナは療養のため、養親から離れて海辺の村にしばし過ごすことに。
ある日、アンナは入江にあるお屋敷を見つけ、少女マーニーと出会う。
不思議と彼女には心を開くことができるアンナだったが、マーニーのことは村の誰も知らないのだった。

感想

無感情から激情へ。アンナの感情の移り変わり

物語はじめのアンナは、外界に対し心を閉じています。
実の両親を亡くし、養母のミセス・プレストンと暮らしていますが、彼女にも完全には心を許せてはいません。(のちにアンナが彼女の愛に疑いを持つ理由が明かされます)
教師からは"やってみようともしない"ことを危惧されるほど無気力な状態です。

ところが、村に来てからのアンナは、サンドラに悪態をついたり、マーニーに対して怒って泣いたりとむしろ強い感情を爆発させています。

これに関して河合さんは「アンナの心が今までと違って、感情によって満たされていることを喜ぶべきである1」と書いています。

どちらかというと、大人しく静かな少女であったアンナがみせる激情。
大人の目線からすると「これまでよりも悪化した」ようにも捉えられがちなアンナの変化ですが、これこそがアンナの心の回復の兆しであったということ。

「ふとっちょぶた!」もまた、アンナの心が変わりつつあることの描写の一つだったんですね。

理屈(頭)では心を癒せない

アンナは、マーニーと出会いお金持ちで美しいマーニーを恵まれている、と評します。
そして、自分を置いて死んでいった両親と祖母が大嫌いなのだとマーニーに向かって吐露します。

あたしを、ひとりぼっちにして行ったから、おばあちゃんなんかきらい。
あたしの世話をするために生きててくれなかったから、きらい。
あたしを、おいてきぼりにするなんて、ひどい。
ぜったい、ぜったいゆるせない。
おばあちゃんなんか、きらい。

ジョーン・G・ロビンソン (著) 松野 正子(訳)(2014)『思い出のマーニー』岩波書店 p.163

アンナの切々とした悲しみと怒りがつまっている叫び。
河合さんはこのシーンについてこう解説しています。

マーニーは「わざと死んだんじゃないんでしょ?」と筋の通った話をしようとするが、アンナの怒りはつのるばかりである。
私はこれを読みつつ、私の前でまったく同じ怒りをぶちまけた人たちのことを思い起こし、胸があつくなるのを感じた。病気だとか運命だとか言うのは他人の言うことだ。
母親に先立たれた子どもとしては、それが理不尽と知りつつも、まず母親に怒りたくなるのではないだろうか。

同上 p.395

村にやってきて以来、感情を少しずつ出し始めたアンナですが、ここにきてアンナはより深い部分での"怒り"に気付きます。おそらくアンナ自身、マーニーと話すまでは気が付いていなかった無意識の部分の怒り。

そして、この抑圧された怒りこそが、アンナを無気力にさせていた大きな原因だったのではないでしょうか。

風車小屋に置きざりにされたアンナ、マーニーとの別れ

度重なる交流を通じて心を通わせるアンナとマーニーでしたが、そんな時に風車小屋事件が起きます。

マーニーは、アンナを置き去りにして従兄と共に恐ろしい風車小屋から出ていってしまうのです。そして、次に会う時がマーニーとアンナの最後の邂逅になりました。

マーニーはアンナに許しを乞います。

「アンナ!ああ、あたし、そこへ行きたい!でも、だめなの!みんなが、あたしをとじこめてしまったの。あたし、あした、どこかへやられてしまうの。あなたにいいたかったの――。さよならをいいたかったの――。でも、外へだしてくれないの――。アンナ!!」
マーニーは窓のむこうで、苦しさにたえられないというように、両手をもんで叫びました。
ごめんなさい!あんなふうに、あなたをおいてきぼりにするつもりはなかったの。あのことで、あたし、ずっとここにすわって泣いていたの。ねえ、アンナ、おねがい!ゆるしてくれるって、いって!」

同上 p.219

 それに対してアンナが言うのがこの言葉。

もちろんよ!もちろん、ゆるしてあげる!あなたがすきよ、マーニー。けっして、あなたを忘れないわ。永久に忘れないわ!」

アンナの経験した激しい怒り、うらみと、それに続くゆるしの感情は、彼女が癒されていくためにはどうしても必要なことであった。

アンナはマーニーに対して怒り、「ゆるしてあげる!」と叫んだとき、彼女の周囲のすべての人、祖母を、母を、プレストン夫妻*を、そして彼女の運命を、すべてを受け容れることができたのである。


マーニーは彼女を癒し、彼女はマーニーを癒した。

同上p.398

*プレストン夫妻はアンナを引き取って育てている養親。彼らのアンナへむける愛情は本物でしたが、アンナを育てていることでお金を受け取っていることを(よかれと思って)黙っていたことからすれ違いが起きていました。

風車小屋に置き去りにされたのは、「両親と祖母に置いていかれた」というアンナのトラウマを刺激するものだった。

だからこそアンナはあんなにも激昂し、マーニーを恨んだ。

そして、アンナはかつて聞くことのできなかった"置いていった側"の思いを、マーニーを通じて知ることになります。

マーニーがこの場面で謝罪しているのは、風車小屋の件についてなのですが、同時に遠い未来で「アンナを置いて、逝ってしまったこと」への謝罪にもなっているのです。

アンナの「ゆるしてあげる!」は自分を辛い目にあわせた世界をゆるすこと、その世界で生きていくことの覚悟をあらわす言葉でした。

このゆるしがあったから、アンナはマーニーとの別れのあと、プリシラ(映画でのさやかのポジションにあたる)をはじめとする新たな出会いを受け容れられたんですね。

ペグ夫妻のアンナへの関わり方が素敵

村でのアンナの保護者役にあたるペグ夫妻。

河合さんは夫妻について、以下のように書いています。

老人夫婦のペグさんたちは、今日の優秀な心理療法家がアンナに対してするだろうと思えるのと同様のことをしたのである。

つまり、彼らはアンナを好きになり、できるかぎりアンナの自由を尊重し、彼女の内面に触れようなどとは全然しなかったのである。

同上 p.390

夫妻が責任の名のもとにアンナを厳しく管理していたら、アンナがマーニーと出会うことはなかった。それを思うと、この二人もまた、物語における重要人物です。

なかでも素敵だなと思った場面があります。

ミセス・スタッブズ(サンドラの母)がペグ夫人にアンナのことをチクチク言う場面。

サンドラが "あんなつまんない子見たことない!"って言ってたわよ、という悪口を、ペグ夫人は、きっぱりと、でも軽やかに流します。

「サンドラがなんていったかなんてこと、わたしにいわないでちょうだい。わたしゃ、そんなことはききたかないの。これは、たしかなことよ。わたしがここにこうして立っているのと同じくらい、たしかなこと。
かちっと音をたてて、ペグおばさんがかけがねをかけました。

「とにかくあの子は、わたしらには、金みたいにいい子だからね。」と、もう門の中に入ってしまったペグおばさんは、強い調子でつけ加えました。「今夜は、たぶん、行かないわ。さそってくれて、ありがと。」

同上p.57

穏やかに悪口を制し、はじめは乗り気だった誘いを断って「その話題には付き合いませんよ」と毅然と線をひく。

この前に「家に来ない?」と誘われてます。

相手に対して感情的に反応することもできるのに、こうして嫌なボールを投げられても相手にしない、という対応ができるペグおばさん。

さすがにアンナがサンドラにふとっちょぶたと言い放ったことを知った際は怒ったペグ夫人ですが(そこで「まあまあ」となだめるのが旦那さん) 夫妻のアンナへのスタンスは物語当初から最後まで一貫して好意的でした。

アンナを癒したのは、マーニーであり、アンナ自身でありますが…村の美しい自然、ペグ夫妻、マーニーとの別れの後に出会った新しいお友達…数々の要素が組み合わさって、アンナに影響を与えたのだと思います。

物語は国を超えた共通言語

人の心の動きは国や文化の違いはあれど、ほとんど変わらないのだということを感じさせられます。
だからこそ、アンナが最後に殻をやぶり「世界の内側と外側」の見方に決着をつけた姿に、多くの読者が勇気と希望をもらえるのでしょう。

陽だまりのような温かな作品です。

ジョーン・G・ロビンソン (著) 松野 正子(訳)(2008)岩波書店

Footnotes

  1. ジョーン・G・ロビンソン (著) 松野 正子(訳)(2014)『思い出のマーニー』岩波書店 p.393
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